説明出来ない趣味と周りに理解される必要性を天秤にかける

どうも森繁です。

「あなたの趣味はなんですか」と聞かれたときに何と答えるでしょうか。俺の場合はあくまでも無難に答えるのであれば「音楽鑑賞」「読書」などを挙げます。

音楽鑑賞と言っても別段、クラシック音楽を聴いているわけではないので、なんだか音楽鑑賞と言い切ってしまって良いのか一瞬悩みます。

まあ古い人間にありがちなのでしょうけれども、音楽と一口に言っても高尚な音楽と低俗な音楽がある、という風に思ってしまうのです。

セックス・ピストルズしか聴かない人が「音楽鑑賞が趣味です」と言って良いのかどうかという感じですね。

俺は決して高尚だとか低俗だとかで音楽を括ることは一切していないけれども、受け手が問題なんですね。

俺みたいに本当に音楽が好きで、古今東西なんでも聴きますというタイプの人ではなくて、本当に音楽を聴いて過ごさない人に「音楽鑑賞が趣味」と言うのはなかなかに危険な行為だと思っています。

そして「読書が趣味」というのも実際は危険じゃないかと最近は思うようになりました。

実際に読書するのが好きには違いありませんが、純文学と大衆小説、他にもジャンル分けが出来る数々の本。それを全て放り込んだ言葉としての読書ですからね。

大抵、読書が趣味と言うと「どんな本読むんですか」と言われます。

どんな本って、嘘だろおい。って気持ちになってしまうのは俺だけではないはずです。

俺が最近集中して読んでいる本は西尾維新さんの「戯言シリーズ」なんですが、それを発表して良いものかという気持ちと、ずっと繰り返し読んでいるのは西村賢太の作品であるという二面性が葛藤するわけです。

もし今読んでいる本として西尾維新さんの戯言シリーズを挙げたのならば、普通の人であれば俺のイメージから純文学は消えてなくなるでしょう。そして代わりに俺に付くイメージは推理小説が好き、ラノベ読んでるのかな、メフィスト系なのかな、化物語で入ったにわかだろ、オタク趣味などなどの印象です。

そもそも読書と言ったあとに全然本を読まない人が受け手だった場合は「へー、私全然本とか読まないんですよね。おすすめなんかありますか」とか無責任なことを言う人も現れます。

そういう人が一番厄介なんですよ。これは音楽でもそう。

「音楽好きなんですねー。なんかおすすめ教えてくださいよ」

ねえよ! お前のこと今日初めて知ったのに勧められるものなんか微塵もねえよ! って言いたくなります。

こういったことが世の中で起きているのが常なんですよ。それを俺はどうにか避けられないだろうか、とよく思います。

俺の趣味トークでなんとか出来る自信が本当にこいつはあるのか。別にいいんだよ。俺の趣味掘り下げるような話の流れにしても。だけど面白くないと思うよって感じなんですよ。

他人に発表するような趣味なんて本当はみんなないじゃないですか。実際に趣味と呼ばれるようなことをしている人なんて随分いませんよ。

だからね、俺はもう受け手の雰囲気をちゃんと見る。気配を察知するっていうのをやるしかないと思う。

俺のことを本当に知ってもらいたいわけじゃないってとき、そして受け手が面倒じゃなさそうなときには「読書」「音楽鑑賞」にしますよ。

あと、ただモテたいだけのときは「読書」も言うかもしれないけれど、音楽鑑賞とは言わないで「夏フェス」って言うかもしれない。

実際、夏フェスって俺一番嫌なんだけど。

夏フェスの良いところ全部知っているんだよ。だけど、暑いし、人がいっぱいいるし、俺はそういうの苦手なんだよ。それでもモテ要素のある趣味かなとは思うんです。

読書はモテ要素ほとんどないですね。読書好きな女子なら話しが合うってことになるんでしょうけど、女性が読むような小説とか読みませんから、結局俺と話は合わないからあんまりモテない。

そして俺の本当の趣味って、そこら辺の人にはあんまり理解されないものだと思っているんですよ。

趣味というか好きでやっていることって言えば「作曲」「インターネット」「古いテレビコマーシャルを見る」「ノートに色々なことを書き込む」「パチンコ」「エロス」ですからね。それと音楽鑑賞と読書。

もうこんなの偏りすぎだと自分でも思ってますから。これを全て理解してくれる人なんて男女問わずいませんよ。だから他人に、特に初対面とかで趣味を聞かれると困るわけです。

それでも、もはや他人にどう思われても構わないということで、趣味をたとえ尋ねられたとしても臆せずに「エロ動画のサンプル集めですかね」とか言ってしまうというのもアリかもしれないと最近は思いますけどね。

理解されることによって得をするのか、それともそこまでのことではないのか。もちろん誤解されることによって損をするというのはありますから、それであれば間違ったことは言っていない「音楽鑑賞」「読書」という趣味でお茶を濁すというのも十分良い選択ではあるのではないかと思います。

しかし、今後深い付き合いになる人に徐々に俺の変態性がバレていくというのもどうなのかと思ったりもするのです。

「読書趣味って言ってたのに本読まないでコマーシャルばっかり見てんなこいつ」と思われるのも癪です。それでいちいち「これも趣味なんだよ」とか言うのも馬鹿馬鹿しい。

天秤にかけることによって引き出される答えは結局、理解されることによって得をすることがあるとも限らないし、その必要性すらもあやしいということですかね。

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